見えないものを測る「量子センシング」とは?――医療・測位・地下探査を変える技術

目次

  1. 量子センシングとは何か

  2. なぜ量子を使うと細かく測れるのか

  3. 量子センシングで測れるもの

  4. 原子時計・光格子時計――時間を極限まで正確に測る

  5. 量子磁気センサー――目に見えない磁気を測る

  6. ダイヤモンド量子センサーとは

  7. 脳の活動を測るウェアラブル脳磁計

  8. 量子重力センサー――地下を掘らずに調べる

  9. 量子慣性センサー――GPSなしで現在地を知る

  10. 医療・防災・産業ではどう使われる?

  11. 量子センサーは従来センサーより優れているのか

  12. 実用化に向けた課題

  13. 日本の強みと現在地

  14. 量子センシングのニュースを読むポイント

  15. まとめ


量子センシングとは何か

量子センシングとは、原子、電子、光子などが持つ「量子の性質」を利用して、時間、磁気、重力、加速度、温度、電場などを測る技術です。

簡単にいえば、

非常に小さく、変化しにくい量子を「精密なものさし」として使う技術

です。

たとえば、次のようなものを測れます。

  • 人間の脳や心臓が発生させる、ごく弱い磁気

  • 地下にある空洞、鉱物、地下水による重力の変化

  • 船、航空機、自動車のわずかな加速度や回転

  • 地点ごとに異なる、ごくわずかな時間の進み方

  • 半導体やバッテリーを流れる微小な電流

  • 細胞内部の温度や磁場の変化

量子センサーは、まったく新しく登場した技術だけを指すわけではありません。

原子時計、MRI、超伝導量子干渉計のSQUIDなども、量子力学を利用したセンサーです。現在は、さらに小型、高感度、可搬型の新しい量子センサーが開発されています。NIST「Quantum Sensing Explained」


なぜ量子を使うと細かく測れるのか

普通のセンサーは、物体の長さ、電気抵抗、機械の振動などを利用して測定します。

しかし、材料には個体差があり、温度や時間の経過によって性質が少しずつ変化します。

一方、同じ種類の原子は、基本的にどこでも同じ性質を持っています。

東京にあるセシウム原子と、ニューヨークにあるセシウム原子の基本的な性質が、製造メーカーによって違うということはありません。

そのため原子や電子の性質を基準にすると、人工的に作った目盛りよりも、安定した「自然界のものさし」を作れます。

量子センシングでは、主に次の性質が利用されます。

エネルギー準位

原子や電子が取れるエネルギーは、連続的ではなく、決められた段階に分かれています。その変化を正確に測ることで、時間や電磁場を測定できます。

量子スピン

電子や原子は、小さな磁石のような性質を持っています。周囲の磁場によってスピンの状態が変わるため、その変化から磁場の強さを測れます。

量子干渉

原子は、状況によって波のように振る舞います。原子の波を二つに分け、再び重ね合わせると、重力や加速度によって生じたわずかな違いを読み取れます。

量子もつれ・スクイーズド光

複数の粒子や光の量子的な関係を利用し、通常の測定で生じる量子的な雑音を抑える研究も進んでいます。


量子センシングで測れるもの

量子センシングには複数の方式があり、成熟度も異なります。

重要なのは、「量子センシング」という一つの市場が、同じ速度で発展しているわけではないことです。

原子時計やSQUIDのようにすでに使われている技術もあれば、量子慣性航法のように、実環境での安定動作が課題となっている技術もあります。


原子時計・光格子時計――時間を極限まで正確に測る

原子時計は、原子が特定の周波数の電磁波を吸収する性質を利用して時間を測ります。

振り子時計が「振り子の往復」を数えるのに対し、原子時計は「原子が刻む非常に安定した振動」を数える時計です。

現在の「1秒」は、セシウム原子の性質を基準に定義されています。

さらに高い精度を目指して開発されているのが「光格子時計」です。

光格子時計では、レーザー光が作る細かな格子の中に多数の原子を閉じ込め、原子が吸収する光の周波数を測ります。いわば、原子をレーザーで作った「卵のパック」に並べて、一斉に時間を読ませる仕組みです。

時計で高さが測れる

一般相対性理論によると、重力が強い場所では時間がわずかに遅く進みます。

そのため、非常に正確な時計を異なる高さに置くと、時間の進み方の違いから高低差を測れます。

2020年、理化学研究所、東京大学、島津製作所などの研究グループは、可搬型光格子時計を東京スカイツリーの地上階と高さ450メートルの展望台に設置し、時間の進み方の違いを測定しました。理化学研究所「18桁精度の可搬型光格子時計の開発」

将来は、光格子時計のネットワークを使い、地殻変動や火山活動に伴う高さの変化を観測できる可能性があります。

また、国際度量衡局では、光時計の発展を踏まえ、将来の「秒」の再定義に向けた検討が続いています。ただし、2030年は可能性を含む目標時期であり、再定義の完了が確定したわけではありません。BIPM「Roadmap to the redefinition of the second」


量子磁気センサー――目に見えない磁気を測る

電流が流れると、その周囲には磁場が発生します。

人間の脳や心臓も電気信号で動いているため、非常に弱い磁場を発生させています。

ただし、その磁場は非常に小さいため、普通の磁気センサーでは簡単に測れません。

量子磁気センサーでは、電子や原子のスピンを「小さな方位磁石」として利用します。

周囲の磁場が変わると、スピンの向きやエネルギーが変わります。その変化をレーザーなどで読み取ると、目に見えない微弱な磁場を測定できます。

代表的な方式には、次のものがあります。

  • 超伝導を利用するSQUID

  • 原子のスピンを利用する光ポンピング磁気センサー

  • ダイヤモンド内部の欠陥を利用するNVセンサー

  • 高い励起状態の原子を使うリュードベリ原子センサー

量子磁気センサーは、脳・心臓の計測、半導体検査、鉱物探査、電流測定、通信電波の計測などへの応用が研究されています。NIST「Sensors for a Magnetic World」


ダイヤモンド量子センサーとは

ダイヤモンドは、炭素原子が規則正しく並んだ結晶です。

その中で炭素原子の一つが窒素原子に置き換わり、隣の炭素原子が一つ抜けると、「NVセンター」と呼ばれる構造ができます。

  • N:Nitrogen、窒素

  • V:Vacancy、空孔

このNVセンターに光やマイクロ波を当てると、周囲の磁場、電場、温度などに応じて、発する光の状態が変化します。

この変化を読み取ることで、NVセンターを非常に小さなセンサーとして利用できます。

ダイヤモンドNVセンサーの利点

  • 常温で動作させられる

  • 非常に小さな領域を測れる

  • 磁気だけでなく温度や電場も測れる

  • 生体や半導体の近くに配置できる可能性がある

想定される用途

  • バッテリーやモーターの電流測定

  • 半導体内部の故障箇所の検査

  • 材料の微細な磁気構造の観察

  • 細胞内部の温度・磁場計測

  • 心臓や脳が発生する磁気の測定

産総研などの研究グループは、NVセンターのスピン情報を電気的に読み出す技術を実証しています。光だけでなく電気信号として読み出せれば、センサーの小型化・集積化につながります。産総研「ダイヤモンド量子センサのスピン情報の電気的読み出しに成功」

一方、感度の均一性、ダイヤモンド材料の品質、製造コスト、読み出し装置の小型化などは、引き続き課題です。


脳の活動を測るウェアラブル脳磁計

脳の神経細胞が活動すると、非常に弱い磁場が発生します。

この磁場を測って脳の働きを調べる装置が「脳磁計」、MEGです。

従来の脳磁計では、SQUIDと呼ばれる超伝導センサーが主に使われています。高感度ですが、極低温に冷却する必要があり、装置が大型になります。

また、センサーが固定されているため、測定中は頭をなるべく動かさないようにする必要があります。

そこで注目されているのが、光ポンピング磁気センサーを利用した「OPM-MEG」です。

OPMは極低温冷却を必要とせず、小型センサーを頭部の近くに配置できます。ヘルメットのように装着できるため、ある程度動きながら脳活動を測る研究も行われています。

英国ノッティンガム大学は、OPMを利用したウェアラブル型脳磁計を開発し、頭を動かしたり、体を動かしたりしながら脳活動を測定しています。ノッティンガム大学「Magnetoencephalography」

将来、次のような対象者を測りやすくなる可能性があります。

  • 長時間じっとすることが難しい子ども

  • パーキンソン病や認知症の患者

  • てんかんの診断を受ける患者

  • 自然な動作中の脳活動を調べる研究参加者

ただし、周囲の磁気雑音を遮る環境や、高度なデータ処理は依然として必要です。


量子重力センサー――地下を掘らずに調べる

物質には質量があるため、周囲に重力を生じさせます。

地下に重い鉱物があれば重力がわずかに強くなり、空洞があればわずかに弱くなります。

この小さな重力差を測ることで、地下の状態を推定できます。

量子重力センサーの代表的な方式は、原子干渉計です。

大まかな仕組みは次のとおりです。

  1. 原子を非常に低い温度まで冷やす

  2. レーザーを使って原子の波を二つの経路に分ける

  3. 原子を重力に従って落下させる

  4. 二つの経路を再び重ねる

  5. 波のずれから重力や加速度を計算する

水面に二つの波を作ると、重なった場所に模様ができます。それと似た干渉模様を原子で作り、重力によるわずかな変化を読み取るイメージです。

想定される用途には、次のものがあります。

  • 地下空洞や老朽化したトンネルの調査

  • 鉱物・石油・地下水の探査

  • 火山内部の変化の観測

  • 地盤沈下や地殻変動の監視

  • 重力の計量標準

NISTも、原子の波としての性質を使って重力や加速度を測る仕組みを解説しています

ただし、「地下を写真のように見られる」わけではありません。測定結果から地下構造を推定するため、地質情報や複数地点のデータとの組み合わせが必要です。


量子慣性センサー――GPSなしで現在地を知る

スマートフォンや自動車、航空機では、加速度センサーやジャイロセンサーを使って移動方向を測っています。

しかし、通常の慣性センサーには少しずつ誤差がたまります。

たとえば、1秒間に生じる誤差がわずかでも、それを何時間も積み重ねると、推定した現在地が実際の位置から大きくずれてしまいます。

量子慣性センサーは、原子干渉などを利用して加速度や回転を高精度に測り、誤差の蓄積を抑えることを目指します。

実現すれば、次のような場所で利用できる可能性があります。

  • GPS電波が届かない地下

  • 海中を航行する船舶

  • トンネル内の車両

  • 宇宙空間

  • 電波妨害を受ける環境

ただし、現在の大きな課題は、振動や温度変化のある移動体上で安定して動作させることです。

米国DARPAも、量子センサーは研究室内で高い精度を示す一方、移動、振動、電磁雑音によって性能が低下すると説明しています。そのため、実環境に耐える量子センサーを開発するRoQSプログラムを進めています。DARPA「Taking quantum sensors out of the lab」


医療・防災・産業ではどう使われる?

量子センシングは、一つの業界だけの技術ではありません。

医療・生命科学

  • 脳磁計や心磁計

  • 細胞内部の温度・磁場測定

  • 超高感度MRI

  • 微量な物質の分析

  • 脳や神経疾患の研究

防災・インフラ

  • 地下空洞や埋設物の調査

  • トンネルや堤防の状態確認

  • 火山・地殻変動の観測

  • 地下水の変化の把握

  • 電力設備やバッテリーの監視

モビリティ

  • GPSに依存しない航法

  • 自動車、航空機、船舶の姿勢制御

  • EVバッテリーの電流計測

  • モーターやインバーターの異常検出

通信・金融

  • 通信ネットワークの時刻同期

  • 金融取引の正確なタイムスタンプ

  • データセンター間の時刻共有

  • 将来の6Gなどで必要となる精密同期

資源・環境

  • 鉱物や地下水の探査

  • 地下構造の調査

  • 大気や電磁環境の観測

  • 気候・地球科学研究

日本のSIP第3期でも、健康・医療、エネルギー、自動運転、通信、防災、資源探査などでの量子センシング利用が検討されています。QST「量子センシング」


量子センサーは従来センサーより優れているのか

量子センサーは、常に従来センサーより優れているわけではありません。

センサーに必要なのは、感度だけではないからです。

  • 価格

  • 大きさ

  • 消費電力

  • 測定速度

  • 耐久性

  • 振動への強さ

  • 温度変化への強さ

  • 保守のしやすさ

  • データ処理の容易さ

たとえば、100円の従来センサーで十分な用途に、数千万円の量子センサーを導入する意味はありません。

反対に、地下深くの小さな空洞や、人間の脳が発生させる微弱な磁気など、従来技術では測定が難しい対象には、量子センサーが大きな価値を生む可能性があります。

したがって、本当に重要な問いは、

世界で最も高感度か

ではなく、

現場で必要な対象を、必要な価格・速度・安定性で測れるか

です。


実用化に向けた課題

研究室の外では雑音が多い

振動、温度変化、電磁波、装置の傾きなどが測定結果に影響します。

感度の高いセンサーほど、測りたい信号だけでなく、周囲の雑音にも敏感になります。

装置が複雑になりやすい

冷却原子を使う方式では、レーザー、真空装置、制御装置などが必要です。SQUIDでは極低温冷却が必要になります。

小型化と高感度化の両立が難しい

装置を小さくすると持ち運びやすくなりますが、精度や安定性が低下することがあります。

測定データの解釈が必要

量子センサーが出すのは、磁気や重力などの測定値です。

その値から病気、地下空洞、故障箇所などを特定するには、AI、シミュレーション、既存センサー、医学・地質学などの専門知識と組み合わせる必要があります。

評価方法や標準化が必要

メーカーによって測定条件が違えば、カタログ上の感度だけを比較しても意味がありません。

利用者が同じ条件で試験できる評価環境や、測定方法の標準化が重要です。


日本の強みと現在地

日本には、特に次の領域で研究蓄積があります。

光格子時計

光格子時計は東京大学の香取秀俊教授が提案した方式です。理化学研究所、東京大学、島津製作所などが、可搬化や高精度化を進めています。

島津製作所は現在、ストロンチウム光格子時計を商用製品として案内しています。島津製作所「AetherClock OC020」

ダイヤモンドNVセンサー

産総研、QST、大学、材料メーカーなどが、ダイヤモンド材料、読み出し技術、電流測定、生命科学応用の研究を進めています。

量子センシングの試験・評価基盤

QSTが担当するSIP第3期では、企業や研究者が量子センサーを試験・評価できる環境の整備と、ユースケースの開拓が進められています。

今後、日本に必要なのは、高い研究性能を示すことだけではありません。

  • 装置を小型化する

  • 安定して量産する

  • 実際の利用者と実証する

  • 測定方法を標準化する

  • 保守・解析を含むサービスにする

という、研究成果を製品やサービスにつなげる取り組みです。


量子センシングのニュースを読むポイント

「世界最高感度」「量子センサーで地下を可視化」といったニュースを見たときは、次の点を確認すると、実態を判断しやすくなります。

  1. 何を測ったのか

  2. 実験室内か、屋外・移動体上か

  3. 感度だけでなく測定速度はどの程度か

  4. 冷却・真空・磁気シールドが必要か

  5. 装置全体の大きさと消費電力はどの程度か

  6. 従来センサーと同じ条件で比較しているか

  7. 一度だけの実験か、繰り返し測定できたか

  8. 製品、試作品、研究構想のどの段階か

  9. 実際の顧客や利用現場があるか

  10. 発表元は研究機関・査読論文・企業広告のどれか

特に注意したいのが「潜水艦を発見できる」「地下を完全に可視化できる」といった表現です。

高感度センサーを開発したことと、複雑な実環境で対象を確実に見つけられることは別です。一次資料で確認できない軍事性能や将来の利用時期は、確定事実として扱わない方が安全です。


まとめ

量子センシングとは、原子、電子、光子などを「自然界の精密なものさし」として利用する技術です。

その対象は幅広く、時間、磁気、重力、加速度、温度、電場などを測れます。

特に注目されているのは、次の分野です。

  • 光格子時計による超高精度な時間・高さの測定

  • 量子磁気センサーによる脳・心臓・電流の計測

  • 量子重力センサーによる地下空洞や資源の探査

  • 量子慣性センサーによるGPSに依存しない航法

  • ダイヤモンドNVセンサーによる微小領域の計測

ただし、量子センサーは「測定精度が高ければ、すぐ実用化できる」という技術ではありません。

研究室での高感度と、振動や温度変化のある現場での使いやすさには、大きな隔たりがあります。

これからの競争を左右するのは、感度の記録だけではなく、小型化、低価格化、安定性、量産性、データ解析、標準化、そして実際の利用者と一緒に用途を作れるかどうかです。

量子センシングは、遠い未来だけの技術ではありません。原子時計やSQUIDのようにすでに社会を支えている技術から、ウェアラブル脳磁計や量子重力計のように実用化へ向かう技術まで、異なる段階の技術が並行して発展している分野なのです。


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